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それが高倉健という男ではないのか [本]


旅の途中で

旅の途中で

  • 作者: 高倉 健
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/05/30
  • メディア: 単行本


俳優高倉健が1996-200年にラジオに出演したときに放送された内容をもとに書き下ろしたエッセイ集「旅の途中で/高倉健」読みました。

よかった・・・
文章から健さんの誠実さが伝わってきます!しみじみ読めばしみじみいいです。っていうか健さん頭低すぎ!

全部よかったけど作家の丸山健二さんが健さんに送った詩がすばらしいのでちょっと長いけど全文のせときます。

それが高倉健という男ではないのか 作家 丸山健二


何もかもきちんとやってのけたいと思い、
これまで常にそうしてきたのは、
映画を愛していたからではなく、
あるいは役者稼業に惚れ込んでいたせいでもなく、
ただそれが仕事であり、
それで飯を食ってきたというだけの理由にすぎない。
だから、できることなら、ファンと称する大勢の他人に囲まれたり、
カメラの前で心にもない表情を作ったり、
ややこしい人間関係の真っただ中に身を置いたりはしたくないのだ。
それが高倉健という男ではないのか。


とはいえ いやいやながら仕事をしているのではない。
好きとか嫌いとかを尺度にして仕事をするのではなく、
やるかやらないかを 問題にするのであって、
やると決め、引き受けたからには持てる力を惜しげもなく注ぎこみ、奮闘する。
仕事だから 仕事らしい仕事をやってのけようとする。
それは観客のためではなく、自分自身のためにすることなのだ。
受けるとか、受けないとかはもちろん気になるが、
最終的には「知ったことではない」の一言で蹴とばしてしまう。
それが高倉健ではないのか。


必要以上のサービスは真っぴらだ。
おれを見たければ映画館へ行くがいいし、こうした本でも買うがいい。
だが 本物のおれとおれの私生活には決して近づくな。
誰であってもだ。よしんば仕事の関係者であってもだ。
ましてや《男と男の友情》などと口走って迫ってくる
薄気味のわるい男は尚更だ。
おれはスターの立場にたまたまいるのであって、
いわゆる《スターさん》に強くこだわったわけではない。
それが高倉健ではないのか。


腰巾着やらお供やらを引き連れて毎夜銀座をうろつかなければ、
あっちからもこっちからも声がかからなければ、
いつでもチヤホヤされていなければ寂しくてたまらないし、
取り巻き相手にわめき散らしていなければ安心できないというのが、
《スターさん》。
仕事をすませた途端に素早く自分に戻れるのが、《スター》。
スターは己れを見失うことがなく、
ときどき胸のうちで 冷ややかな笑みを浮かべている。
それが高倉健ではないのか。


役者は 特別な存在でなければならない。
たとえ普通の人間を演じる場合であっても、普通の男ではいけない。
とりあえず外見が問題だ。
顔だけ特別に立派でも、
首から下が世間の連中とまったく同じではまずい。
つまり、頭のてっぺんからつま先までが
売り物としてふさわしくなくてはならない。
大酒を呑み、大飯を食い、どこにでもいるただのデブとなって、
ほんのちょっと動いただけで息切れをするような男が
主役を平然とやってのけている。
しかし、彼だけは違う。彼は、いつだって特別だった。
それが高倉健ではないのか。


必要に応じて必要な動きができる男が減ってきている。
どうということもないのに大げさに騒ぎ立てる男はうじゃうじゃいる。
そんなに動かなくてもいいのに派手に動きまわる男が増えている。
そんな男に限って、本当に動かなくてはならないときに
こそこそと逃げてしまう。
格好だけで良いのだ、中身なんてどうでもいいのだ、
外側しか見えないさ、とかれらは居直る。
だが そうではない。
人間の中身ははっきりとスクリーンに映し出されるものだ。
たとえば分厚い皮下脂肪のような形で。
彼は必要に応じて必要な動きができる。
スクリーンの上だけではなく、私生活でも。 
それが高倉健ではないのか。


三年前にはやれなかったことが、今は簡単にやってのけられる。
そんな男は少ない。流れに身を任せることを知っていて、
ときには流されもするが、しかしそれでも頭は常に上流へ向けられ、
両手はのべつ水をかき、両足はしょっちゅう水を蹴っている。
つまり、エネルギーの配分を冷静に計算しながら、
少しでも、前進しようと狙っている。
彼は決して溺れない。
それが高倉健ではないのか。


暗くて、重くて、正しくて、強い一匹狼のイメージは、 
いつしか 敬遠されるようになった。
そうした主人公に憧れ、血の騒ぎを覚える男は減るばかりだ。 
時代は ますます軽くて薄い方向へと傾いてゆく。
その日その日をちまちまと、こすっからく、目先の欲に振りまわされて、
弱くてだらしのない男たちが、 
「普通でいいんだよ」、「自然に行きたいのさ」
「等身大の生きざまがしたいんだ」
などという 小賢しい言葉の上であぐらをかいている。
そのなかにあって彼は男でありつづけたいと願い、 
役者をしながらもその姿勢をくずそうとしない。
それが高倉健ではないのか。

何回読んでもしびれる・・・
健さんは気持ちが折れそうなときこの文章を読んで気を引き締めているそうです。
旅の途中で 高倉健.jpg
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一擲

ツイッターで紹介させていただきました。ありがとうございます。
by 一擲 (2014-11-19 11:05) 

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