瀬川晶司はなぜプロ棋士になれたのか [将棋]
26歳までに四段にならなければ絶対にプロ棋士にはなれずその規定に破れプロを断念した瀬川晶司。しかし奨励会を退会後10年、アマとしてプロ棋士相手に17勝を上げ再びプロを目指す男とその周りの人たちの話です。
といってもかつて特例として26歳以上でプロ入りしたのは一人だけ(それもかなり昔)。それは将棋連盟、そして将棋界全体を相手にする戦いだった。
保守的な将棋連盟なのでプロ入りの件を議題にさせるだけでもおおごとで関係者の苦労が綴られています。
地味な展開も続きますがあきずにスーっと読めました。
そしてプロ棋士への編入試験として六番勝負をとり行うことに決定。ここまでくるだけでも大変だったけどここからプロ棋士相手に3勝以上とらねばならない。
その戦いもきっちりかかれていて読みながら力が入る。
プロ入りがかかった一生に一度の大舞台で瀬川のプレッシャーもきついけど相手するプロ棋士にもそれぞれ期するものがあって負けられない・・・まさに格闘技のような戦い!
3勝あげたあとの会見で瀬川は「ここで泣いたら一生泣き虫と呼ばれる」と涙をこらえたけど自分はジョナサンでランチ食べながらホロホロと泣いてしまいました。
瀬川万歳。
故ジャイアント馬場婦人の馬場元子さんがかいた馬場との思い出本「ネェネェ馬場さん」読む。
元子節満載の元子本でした。
2008-12-21 13:04
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